3・11

8年前の今日、忘れてはいけない日。

僕は8年前の2月25日に大病を発症しました。深夜寝ている時に急な首肩背中の激痛で目覚め、もう動けないくらい。そうこうするうちに手足が痺れ力が入らなくなってしまい、これはおかしいていうことで救急車を呼び救急外来へ。その頃には足にも麻痺が来ていてぎこちない歩行で救急車に乗り込んだ事を覚えています。自己診断で片麻痺や顔の麻痺が無いのでおかしいなと思っていて、救急外来でもCTやらMRIやら色々やるのですが(幸い?)脳内には病変が見られずに一応脳梗塞かもしれないということでその点滴治療を開始しました。明け方になるにつれ尿意が激しいものの排尿が出来ず、ナースコールして導尿してもらったら4L貯まってて尿閉でした。朝、念のためにということでもう一度頸部のMRI撮ったら、ビンゴ!頸髄腔が狭くなる後縦靭帯骨化症(OPLL)でそこが完全に閉塞していての症状と診断されました。手術が必要とのことでその病院では手術が出来ないため、大学病院へ救急車で搬送され、また色々検査して深夜0時過ぎにようやく手術室へ入り手術開始となりました。このOPLLという病気は九州南部に多い疾患で、通常は徐々に進行して手足の痺れ、麻痺が進行し、気づいたら手術が出来ない状況か手術してもあまり改善が望めないことが多い病態なのですが、僕の場合、急激に発症して見つかった状況でした。手術に関しては整形外科の領域で手術するかどうかでかなり議論が交わされたようです。僕自身としては痛みが凄く、四肢麻痺も出てきていたのでどうなってもいいのでとにかく手術して欲しいと懇願していました。手術室に入り頭を固定するために頭部の骨に4箇所太いボルトをねじ込んだのですが、この痛みなど屁のようなものでした。手術してみて初めてわかったのですが、OPLLで狭くなっていた(症状はまだ極軽度しか出ない程度)部位に何故か急に出血が起き、その血液塊で完全に髄腔が閉塞してしまって四肢麻痺の症状が出ていたようで主治医からも後で極めて珍しいケースで学会発表ものですと言われたので多分どこかの学会で発表されたんだと思います。術後はリハビリしながら見る見る回復して行きましたが創部の治りがやや悪く退院が伸び伸びになっていました。で、3月11日午後2時くらいに主治医に呼び出されて退院の許可が出て喜んで病室に帰るとTVで津波の画像が、、、。何か退院の喜びも無くなり翌日ひっそりと退院して行ったのでした。

僕の場合は出血というアクシデントが起きてくれたために早期発見、早期手術(頚椎の2番目から7番目まで外してあります)が最も奏功してくれました。退院後しばらく(半年くらい)はリハビリに通いましたが今では殆ど普通に生活、診療できています。(数字でいうと95%くらいでしょうか、手先の痺れやちょっとした平衡感覚の崩れなどありますが)ラッキーでした。

こういう病気発症から手術、退院の経過の中で東日本大震災を知ることになったのです。あれから8年、忘れようとしても忘れられません。自分が元に戻れて曲がりなりにも元気で生活、仕事が出来ている幸せを胸に刻みながら
震災で亡くなられた方、行方不明の方のご冥福と被災された方々の復興を心からお祈りいたします。